久しぶりの更新とC日程について
お久しぶりです。もなかです。京急の事故大変。
前回まで、数記事書いているなかで
「誰も興味ないよなぁ…」と思ってしまい、なかなか次の記事を書こうという気になれませんでした。
ところが久しぶりに開いてみたところ、日々ちょこちょこっとアクセスがあるようで、”こんなブログでも需要があるのかな” とちょっと嬉しくなりました。
なので、始めた当初は自分のこれまでの公務員人生をストーリー仕立てで書いてくぞ!と意気込んでいましたが、あまり考えず、思いついたこと、思い出したことを書いていきます。
ハードルを下げて、続けるのが大事。
さて、9月に入り、C日程試験が近づいてきました。
C日程は一般市町村の採用試験です。
国家一般、地方上級に比べると解きやすい問題が多いと思います。
直前期は知識問題の最後の詰め込み時です。流し読みでもいいから目を通しておくと選択肢を絞りやすくなるのでおすすめです。
作文試験が同時にある方は、その市町村の職員になって自分がやりたいことやスキルをどんなことに活かせるか、市町村の抱える問題とその解決法とか、回答の大枠を想定しておくと良いかも。(面接でも聞かれるような内容なので考えておいて損はないはず!)
服装を悩む方も多いと思います。C日程以降は筆記試験でも上下スーツにネクタイの人が多いですよ。
そんなところで、ではまた。
ちゃんと続けます!
なぜ公務員を目指した?(大学生~就活編)
こんばんは。もなかです。
週末にかけて台風が近づくようです。最近台風が多いですね。
というか災害が続きまくってる。
弊社もすでに台風接近時の連絡体制の確認と災害対応の出勤に備えるように、とお達しがありました。
被害が出ないことを祈ります。
さて、前回に続いて
なぜ公務員を目指したか?(大学生~就活編)
について書いていきたいと思います。
大学入学当初、僕の思い描いていた将来は
大学院(修士)まで研究と実験をやって、その後は国や県の研究所・試験所に入って社会の抱える課題の解決に関する実験や研究に携われたらなぁ。
なんて考えていました。
きれいごとにしか聞こえないでしょうが、割とまじめに。
その後、上記のような職に就けるのは、一流国立大を出て博士を取った人の中でも一握りの専門家、ということが分かったので早々に諦めました。
そこまでの努力も、そのための覚悟も僕は持っていませんでしたから。
また、市役所・都道府県庁は文系の法律屋さんが行くところだとも聞き、ほぼ諦めました。
さあ、じゃあどうする?
現実的なラインはどこだ?
と、自分の市場価値を知るため学部3年で民間企業主催の合同企業説明会へ参加しました。
ところがここでも現実を突きつけられます。
企業のブースを回っても大半は営業職でした。また、参加していた学生の大半も私立文系の方でした。
簡単に言えばこの2者のマッチング会場だったわけです。
「あー、僕はお呼びじゃないですねー。」と会場を後にしました。
ちなみにこの時点で民間就職サイト等の利用は見送り。
次に参加したのは大学で開催する合同企業説明会です。
こちらは、基本的には「ここの大学の学生を採りたい」という企業が参加するので良い反応を貰えるだろうと考え行ってみました。
でもやはり考えが甘かった…
この説明会を通じて分かったことは
「学部卒理系に企業は専門性を期待していない。良くて技術営業としての採用。しかし、大概の企業は大学から依頼があったから来ているだけで採用する気はない。」
という現実でした。
リーマンショック→事業仕分け→東日本大震災の後、という時期の要因もあったかもしれませんが、とにかく厳しい時期だったと思います。
僕の周りの学部卒で就職しようとしていた友人らは、修士を出た2年後なら少しは景気が良くなっているのではないか、と院試対策に切り替えてました。
僕も同じです。修士まで取ろうと思いました。
このときまだ学部3年。研究室配属前でした。
春が来て、4年生になり本格的に卒業研究が始まりました。
それは悲劇の始まりでした。
「大学生って4年生にもなると単位取り終わってほとんど学校行かなくていいんでしょ?いいよな~」
ということをマスメディアを通して聴いていましたし、僕もそう思っていました。
現実は違った。
月曜~金曜まで10時~17時がコアタイム(研究室にいなければならない時間帯)でしたが、実際は実験の進み具合、測定器の順番待ち、報告書作成、でほとんど毎日23時に学校を出るという状況。
かつ毎週土曜日はその週に行った実験結果とその考察、翌週予定している実験についての報告会があり、日曜しか休みはありませんでした。
この他、3か月に1度実験報告会、半年に1度中間報告会、そのほか隔週月曜に勉強会等々...
就職してから周りの人に話すと「会社より会社じゃん(笑)」と言われます。
また研究室の院生の先輩が就活のために欠席すると、
教授から「就職先が決まっても研究成果が出なかったら卒業(修了)出来ないからな!」
准教授からも「大学は研究をするために来るところであって就職のために入るところじゃない!」
と怒鳴られていて、日に日に元気がなくなり、病んでしまい、結果、中退されていきました。
その姿を真近で見ていた僕は修士に行くことに恐怖しか感じず、院試の申し込みは出来ませんでした。
長々とした学生時代の愚痴のようになってしまいましたが、
この時点で僕はもうお手上げで、正直就職を諦めました。
さあどうなっていくのでしょう...
なぜ公務員を目指した?(小学生~高校生編)
こんばんは。もなかです。
今週は安倍政権の3期目が決まりました。
強いですねぇ。良くなるといいですねー。
と感想はこの程度にしておきます。
さて、今回は標題の通り私が“公務員を目指そうとした経緯”について書いていこうと思います。
「なぜ公務員になろうと考えたのか?」
公務員試験の面接で必ず問われる内容です。
私の場合、率直に言うと
親に小学生のころから「公務員になりなさい」と言われ続けていたからです。
と言うのも、時代背景が強いのだろうと思います。
私の両親は共に民間企業に勤めています。(母は寿退社で専業主婦となりましたが)
両親が勤め始めた頃は高度経済成長期。バブル真っただ中でした。
なので給料はもちろん民間のほうが良く、公務員になった方は馬鹿にされていた時代だったと聞いています。
(またその頃は縁故や地元の有力者の子等が公務員に採用されていたそうな…)
しかし、私が生まれる直前、時代の節目を迎えました。
俗に言う「バブルがはじけた」というやつですね。
一気に世の流れが不況へと向かっていきます。
そのため、父は不況による賃金カットやリストラの波を身をもって経験しています。
私はまだ小学生ぐらいだったと思いますが、父の同僚の方が、地方・海外・子会社へ飛ばされたという話を、何度も何人も聞いた覚えがあります。
幸いなことに、父はリストラや左遷にはならずに済みましたが、正直裕福な家庭ではありませんでした。
将来のため、大学に行け。ただし高校は公立、大学は国立じゃないと行かせられない、ということを小学生の頃から両親より何度も言われていました。
また言われていただけでなく、勉強していないと家から出されたり、殴られたり、怒鳴られたり…
そんなわけで必死こいて勉強し、どうにか合格したので進学させてもらえました。
これと同時に「将来は安定した公務員になりなさい」ということも、何度も何度も何度も言われてきていました。
こんな家庭環境だったため、私の中で「就職先は公務員。じゃないと怒られる…」という感情が強くありました。
それはもちろん今でも残っています。
以上、長くなりましたが私が“公務員を目指した経緯”となります。
かなり消極的というか、ほぼ親の命令でしたね。笑
次回は、なぜ公務員を目指した?(大学生~就活編)を書こうと思います。
自己紹介
こんばんは。もなかです。
昨日、安室さんが引退されました。
私は特段ファンだったというわけではありませんが、
「安室奈美恵」という歌手は私が小学生のころからずっと歌手として居続けた存在で、
引退されるということがなんだかピンと来ないというか、
んー…うまい言葉が出てきません。
時代の変わり目なんでしょうか。
さて、今回は私の自己紹介をしようと思いました。
このブログタイトルの通り、とても簡単に言えば
「うつになった公務員」
です。
もうちょっと付け足すと、以下の通り。
地方国立大を出て、地元の地方自治体(市町村)に事務職として入庁。
入庁後は環境部門に配属となりました。
ちなみにうつになったのは5年目の途中。
症状が悪化して病気療養→休職を2回経験しました。
現在は療養を経て無事に復職し、毎日必死に仕事をしています。
また、これも別の記事を設けようと思いますが、
この度、現在の職から別の地方公務員へ転職することとなりました。
公→公転職というやつです。
運が良かったというのが正直なところですが、
これら「公務員とうつ」、「公務員から公務員への転職」
の2つの経験を軸に書いていこうと考えています。
公務員への就職を考えている方、公務員でうつになってしまった方、公務員からの転職を考えている方にとっての、この先を悩みや不安を和らげることが出来たら嬉しいなと思います。
では今回はこのあたりで。